炭山 (浦幌町)
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炭山 | |
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町丁 | |
北緯42度56分14.11秒 東経143度44分19.09秒 / 北緯42.9372528度 東経143.7386361度座標: 北緯42度56分14.11秒 東経143度44分19.09秒 / 北緯42.9372528度 東経143.7386361度 | |
座標位置:道道500号浦幌町側供用部起点付近 | |
都道府県 | ![]() |
郡 | 十勝郡 |
市町村 | 浦幌町 |
人口情報(1967年以降) | |
人口 | 0 人 |
世帯数 | 0 世帯 |
郵便番号 | 089-5600 |
市外局番 | 0155 |
ナンバープレート | 十勝 |
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炭山(たんざん)は、北海道十勝郡浦幌町の町丁。郵便番号は089-5600[1]。かつては浦幌炭鉱の操業によって約3600人が居住したが、現在は無住地帯となっている[2]。双運(そううん)とも呼ばれた[3]。
地理
浦幌市街の北東、浦幌駅から約30キロメートル[4]のところの釧路市(旧音別町)との境界付近の山間部に位置する。
河川
- 常室川
地名の由来
浦幌炭鉱があったことに由来する[5]。
歴史
浦幌炭鉱の開坑
浦幌の鉱業権は元々は古河鉱業が所有していたが、1923年(大正2年)に大和鉱業の平林甚輔の手に渡ったことで開発が始まる。1917年(大正6年)11月に留真坑が開坑し[3][6]、1918年(大正7年)3月には常室坑、1918年(大正7年)から1919年(大正8年)頃に毛無坑が次々と開坑するがいずれも出炭成績が伸び悩んだ[6]。毛無坑の採炭が行われた1919年(大正8年)から1923年(大正12年)ごろには毛無坑から常室を経て浦幌駅までの馬車軌道が運行された[3][7]。これらの3坑はいずれも出炭成績が芳しくなかったことから1934年(昭和9年)からは双運坑の開発に注力、上浦幌から炭鉱までの道路を建設したうえ、同社は常豊までの専用鉄道の敷設を計画するが経営は厳しく計画は頓挫する。なお、この時購入した国鉄7200形蒸気機関車3両は雄別炭礦傘下となった後に転用され2両が雄別炭鉱、1両が尺別炭鉱で使用された[8]。1936年(昭和11年)10月19日に山向かいの尺別炭鉱を所有する三菱鉱業に買収され同社の傘下となる[注釈 1][3][6][9][4][10][11]。
三菱鉱業傘下時代
三菱鉱業傘下となってからもしばらくは従前どおりトラックで浦幌駅まで石炭を輸送したが、水害や雪害によって輸送が安定しないため1938年(昭和13年)に浦幌炭鉱から尺別までの索道を建設する[12]。この索道も冬季の積雪、強風によって墜落事故が頻発したため翌1939年(昭和14年)9月には軌道の敷設が始められ、1942年(昭和17年)に開通する[4][12]。この軌道に設けられたトンネルは「浦尺隧道」と呼ばれ、石炭のみならず18人乗りの人車も運行された[4][9]。輸送は安定したものの太平洋戦争の終わりごろには戦局の悪化により出炭効率は低下。1944年(昭和19年)9月に人員を九州の原料炭炭鉱に集約するため僅かな家族を残して尺別炭鉱と共に休山となった[4][6][11][12]。
雄別炭礦時代
戦後は財閥解体によって雄別炭礦の炭鉱となった後の1947年(昭和22年)10月に操業を再開する[9]。1948年(昭和23年)12月8日には村役場の出張所が設置されるなど一時は栄えたものの[13]、朝鮮戦争後の不景気以降、石炭の斜陽産業化が進み始めるとカロリーが低く炭価の安かった尺別炭鉱は赤字となり、雄別炭鉱の収益に依存するようになった[12]。尺別では双久坑の開発に注力するとともに浦幌坑を閉山する方針となり、1954年(昭和29年)10月に閉山[4][12]、11月5日より撤収が始まり、12月3日には坑内設備の撤収が完了した[2]。人員は雄別などの系列炭鉱へ異動となった[12]。
閉山後
閉山後もアパートや学校などが残され数十戸の住民が残ったが、1967年(昭和42年)7月31日に常室小中学校炭鉱分校が廃校になるとともに当地は無住地帯となっている[2]。2004年(平成16年)には「炭山みらいの森」として遊歩道などが整備されている[14]。また、2024年(令和6年)には閉山70年を記念して浦幌町立博物館で企画展が行われている[15]。
年表
- 1917年(大正6年) - 浦幌炭鉱が開坑する[3][4][6][9]。
- 1936年(昭和11年)10月19日 - 浦幌炭鉱が三菱鉱業傘下となる[3][6][9][4][10][11]。
- 1942年(昭和17年) - 音別町尺別とを結ぶ浦尺隧道が開通[4][12]。
- 1944年(昭和19年)9月 - 戦局悪化に伴い休山[4][6][11][12]。
- 1947年(昭和22年)10月 - 操業を再開する[9]。
- 1954年(昭和29年)10月 - 浦幌炭鉱が閉山[4][12]。
- 1967年(昭和42年)7月31日 - 常室小中学校炭鉱分校が廃校、同時期に無住地帯となる[2]。
世帯数と人口
前述のとおり1967年(昭和42年)以降は無住地帯のため、0世帯0人である[2]。
施設
学校
小学校
- 浦幌炭礦小学校 - 1925年(大正14年)私立学校として開校[注釈 2][16]し、1939年(昭和14年)に公立に移管される。炭鉱休山と同時に廃校となるが、1946年(昭和21年)11月に常室小学校分教場として復活、1947年(昭和22年)10月3日より独立の小学校となる[3]。1967年(昭和42年)7月31日廃校[2]。
中学校
公共施設
- 浦幌村役場浦幌炭礦出張所 - 1948年(昭和23年)12月8日設置[3]。
- 浦幌炭礦巡査派出所 - 1938年(昭和13年)7月11日設置、1944年(昭和19年)6月廃止[3]。
- 浦幌炭山郵便局(尺別炭山郵便局分室) - 1940年(昭和15年)2月1日設置[17]、1955年(昭和30年)6月30日廃止[18]。
交通
道路
過去の交通
- 浦尺隧道 - 尺別炭鉱と浦幌炭鉱を軌道で結んでいた[12]。
脚注
注釈
- ^ 大和鉱業時代については情報が交錯しており、本項の記述は可能な限り複数の資料間の整合性を図った記述となっているが、切り捨てた記述もあるため各出典元資料も参照されたい。各資料共に「古河鉱業の所有していた鉱業権が大和鉱業の手にわたり開坑、1936年に三菱鉱業傘下となった」という大筋の流れは一致している。
- ^ 同一資料内で1922年(大正11年)との記述もあるため、どちらかが誤植と思われる。資料内では3回同一の記述があり、そのうち2回が1925年だったことから本文には1925年と記載した。
出典
- ^ “北海道 十勝郡浦幌町 掲載がない場合の郵便番号 - 日本郵便”. www.post.japanpost.jp. 2025年5月27日閲覧。
- ^ a b c d e f g “炭鉱跡地 廃虚に生活の匂い まちマイ浦幌編(十勝毎日新聞)”. 十勝毎日新聞電子版 (2025年5月27日). 2025年5月27日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j 『浦幌村五十年沿革史 : 自明治33年至昭和24年』浦幌村、1949年。doi:10.11501/1159802。
- ^ a b c d e f g h i j k 石川孝織『雄別炭砿閉山50年 雄別・尺別・上茶路』釧路市立博物館、2022年3月20日。
- ^ NHK北海道本部『北海道地名誌』北海教育評論社、1975年8月、655頁。doi:10.11501/12191711。
- ^ a b c d e f g 渡部哲雄『十勝史夜話 中』東北海道新聞、1984年8月。doi:10.11501/9571292。
- ^ 持田誠. “浦幌炭鉱馬車軌道路線図のデジタル化と複製の製作”. 北海道博物館協会. 2025年5月29日閲覧。
- ^ 谷向繁. “浦幌炭砿における運炭方法の変遷”. 浦幌町立博物館. 2025年5月31日閲覧。
- ^ a b c d e f 『北海道炭田誌 第2号 釧路炭田』日本石炭協会北海道支部、1953年。doi:10.11501/2464756。
- ^ a b 谷向繁. “浦幌炭砿の街並み形成について”. 浦幌町立博物館. 2025年5月27日閲覧。
- ^ a b c d “〈炭鉱関係私鉄紹介〉雄別炭鉱株式会社 尺別鉄道”. 炭鉱技術 (北海道炭鉱技術会) 23 (8): 252-253. (1968-08). doi:10.11501/2306632.
- ^ a b c d e f g h i j 大谷正春『尺別鉄道50年の軌跡』ケーエス興産、1984年7月。doi:10.11501/12066287。
- ^ 『浦幌村五十年沿革史 : 自明治33年至昭和24年』浦幌村、1949年。doi:10.11501/1159802。
- ^ “炭山みらいの森 - 十勝総合振興局森林室”. www.tokachi.pref.hokkaido.lg.jp. 2025年5月29日閲覧。
- ^ “浦幌炭鉱の記憶たどる 閉山70年、町立博物館企画展 かつての活況、労働実態継承を /北海道”. 毎日新聞. 2025年5月29日閲覧。
- ^ 『北海道私学教育史』北海道私学協会、1963年、202頁。doi:10.11501/3042190。
- ^ 『官報』大蔵省、1940年1月30日、895頁。doi:10.11501/2960412。
- ^ 『全国郵便局消印蒐集叢書 第1巻・第2巻 (普通郵便局索引) 改定第2版』小島純二、1990年12月、45頁。doi:10.11501/13062701。
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