湖上交通と疏水
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/28 05:02 UTC 版)
江戸期、猪苗代湖では湖上における交通の発達がみられた。この湖上交通は廻米などに用いられた。また、同時に周辺地域における農業用水の供給源としても用いられており、戸ノ口堰、布藤堰などが存在していた。 その後、明治期にはそれまでの地域のみならず、降水量が不足する郡山市周辺の安積原野に飲料用水や農業用水を供給するために、1882年に安積疏水が、1977年に新安積疏水が整備された。この疎水は湖の東側より取水し、分水嶺の山をトンネルによって越えるものであった。近代日本を代表する重要な疏水事業によって安積原野は、日本有数の米の生産地に姿を変えた。用水は最終的に阿武隈川水系に回収される。安定した供給量を確保するため、湖の西側にある流出河川の日橋川に十六橋水門を設け湖水面の高さ調整を行っている。現在では、猪苗代湖の水はこの安積疏水によって主に湖東側の郡山市の農業用水などとして用いられる一方、湖西側の会津若松市においても飲料水などとしても用いられている。加えて、日橋川や安積疏水には複数の発電所が設けられており、これらの発電用水としても用いられている。その他、国の地方港湾である翁島港、湖南港があり、主に観光港として機能している。
※この「湖上交通と疏水」の解説は、「猪苗代湖」の解説の一部です。
「湖上交通と疏水」を含む「猪苗代湖」の記事については、「猪苗代湖」の概要を参照ください。
- 湖上交通と疏水のページへのリンク