温泉寺の墓所
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/30 12:45 UTC 版)
温泉寺は高島城の北東1.3キロに位置する。2代藩主頼恒が慶安2年(1649年)に建立したもので、藩主家の菩提寺となった。裏山の墓地に2代から8代までの藩主とその妻子の墓塔がある。寺は天文2年(1737年)と明治3年(1870年)に火災に遭い、古い建物は残っていない。 墓所は上段・中断・下段の3段の平地を造成し、上段に歴代藩主の墓塔がある。藩主の墓塔は一辺3メートル超の石造方形基壇を3段重ねた上に舟形の墓標が立つ形式である。墓標の高さは2.61から2.79メートル。この墓標は無縫塔(僧侶の墓に用いられる卵形の石塔)を半截したような独特の形状のものである。歴代の墓塔は横一列に並び、向かって右から左へ8代忠恕(ただみち)、6代忠厚、3代忠晴、4代忠虎、2代忠恒、5代忠林(ただとき)、7代忠粛(ただかた)の墓塔である。各墓塔前には石敷の参道があるが、このうち8代墓所の参道は上段部分と中段部分で使用石材を変えていることが確認されている。参道両脇には墓所に奉献された石燈籠が計116基ある。 2代墓塔はもとは木造の霊屋内に建っていた。建物内にあったため、2代墓塔は刻字部分に施された金泥が残っている。霊屋はたびたび修理を受けていたが、寛文13年(1673年)に建てられた宝形屋根の建物であった。この霊屋は倒壊の危険があったため、2007年に解体(部材保管)。その後は仮の霊屋が建てられている。
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