渉外部長として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 01:12 UTC 版)
2005年11月、「今、元WWEの選手達が新日本プロレスに上がってますけど、ファンの方が望むなら、現役のWWE選手がノアに上がれるように働きかけてみます」と表明。全日本時代からジョニー・エース(現WWE副社長)とは旧知の間柄ではあったもののその後進展は見られなかった。ただ、エースからのオファーで、2008年に森嶋猛と潮崎豪がWWEのダーク・マッチに参戦した。 「若手選手育成を目的としたノア別ブランドでの定期開催」を構想し、2006年3月21日「プロレスリング・セム)」として実現させた。他に「ジュニア選手のみの大会」「日本人のみで回るツアー(シリーズ)」「アメリカに現地法人を置く等の本格的な海外進出」といった企画もあったが、当時の体制では実現しなかった。 第二回ディファカップの話をZERO1-MAXから持ちかけられた際「全面協力しますよ」と日本テレビに話を持って行き、共催という形になったほか、2006年2月に行われた健介officeの自主興行で小橋建太の出場を打診された際にも協力している。全日本の木原文人リングアナ(仲田の元後輩)が体調不良で前日、急遽出られないと決まった際には北斗晶から前日の夜に代役を打診され、快くリングアナを務めている。その他、王道プロレスを看板に掲げていたキングスロードがその看板との狭間で窮地に追い込まれていた際には、協力を約束したという。同団体の興行に三沢他4選手を派遣した。 ZERO1-MAXを運営するファースト・オン・ステージ社長の中村祥之も、「ボクは龍さんの外部の弟子」と発言していた。中村は何かイベントを開催する際、まず仲田に話を持って行き、相談することが多かった。ゼロワンにノアと絶縁関係にある大森隆男が所属していた時期も、会社同士としては友好関係は続いていた。このことがグローバル・レスリング連盟発足への足がかりとなったが、その後同連盟は機能しておらず、ZERO1-MAXとも表立った交流は見られていない。
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