清盛による子供たちの助命について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/03 05:56 UTC 版)
「常盤御前」の記事における「清盛による子供たちの助命について」の解説
『尊卑分脈』の系図には、清盛の八女に常盤の娘として「廊御方」が記されているが、軍記物を読んだ『尊卑分脈』編者が廊御方という存在を作り出したとの説もある。従って常盤と清盛の間に子が生まれていたこと、さらには男女関係があったということに対しても疑問が提示されている(廊御方参照)。 常盤が清盛と男女関係になることによって子供達の助命がかなったということが、一般的に知られている話である。上記の通り室町以降に成立した物語では常盤が子供たちの命がかかわっているために清盛と男女関係になったということが記されているが、鎌倉時代に成立したとみられる古態本『平治物語』においては子供達の助命と常盤が清盛の子を産んだ話の間には一切の関連性がない。 また、平治の乱において戦闘にまで参加している義朝の嫡男・頼朝の助命が決定していたということ、最近の研究の結果、平治の乱に対する評価が変化して、真の首謀者は藤原信頼で義朝は信頼に巻き込まれたに過ぎず、この乱が源氏と平家の戦いという側面ではとらえられなくなっていること(平治の乱を参照)、清盛に対して義朝の勢力は都における軍事動員力や官位経済力という面においてはるかに遅れをとっていたという事実などから、常盤と清盛に男女関係があろうがなかろうが、常盤の三人の子供の助命に大きく影響したとは考えがたいという見解が強い。
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