清水の舞台から「飛び降り」る
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/20 09:02 UTC 版)
「飛び降り」の記事における「清水の舞台から「飛び降り」る」の解説
京都府京都市東山区清水の清水寺にまつわる有名な慣用句であるが、その由来は江戸時代に庶民に広まった民間信仰にある。これは、同寺に祀られる観音様に自らの命を預けて「清水の舞台から飛び降り」、もし助かれば願い事が叶い、またたとえ死んだとしても成仏し観音様の元へ行ける、というもの。 清水寺が独自に行った調査では、清水寺塔頭の成就院が記録した文書「成就院日記」の中に、1694年(元禄7年)から幕末の1864年(元治元年)までの間に取られた148年分の記録中、未遂も含め234件の「飛び降り」の記録が残っているという。これには件数だけでなく生死の状況など詳細な統計も残っており、そこから「生存率」を計算したところ85.4%というかなり高い数字で、10~20代に限れば90%を超え、年齢とともに低下していく(ちなみに舞台から地面までは13メートルの高さ)。下は12歳から上は80歳代まで老若男女が飛び降りを図っており、彼等は東北地方から四国までの全国から「飛び降り」にやって来ていたようである。相次ぐ飛び降りを近隣住民は快く思うはずもなく、対策を同院に嘆願していたという記録も残っており、1872年(明治5年)に幕府が飛び降り禁止令を出し、ようやく収束している。 現代においては、1995年2月に阪神・淡路大震災で被災した80歳代の男性が、2006年5月15日には30~40歳代と見られる男性がそれぞれ清水の舞台から飛び降り、いずれも死亡している。2009年9月30日には、18歳の男子大学生が自殺を図って飛び降りたものの、一命を取り留めた。
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