浄土院
浄土院
浄土院
浄土院
浄土院
浄土院
浄土院
浄土院
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/17 09:29 UTC 版)
根本中道を中心とした東塔(とうどう)、釈迦堂を中心とした西塔の両エリアの中間地点に位置し、浄土院は東塔に所属する。822年(弘仁13年)に死去した最澄の遺体を、円仁(慈覚大師)が854年(仁寿4年)にこの地に移して安置した場所とされる。 織田信長による比叡山焼き討ちで焼失したのち、浄土院は徳川家光の代に再建されることとなった。ただし、廟所の正確な場所は不明だったため、大方の見当で当地に建立されている。再建時には廟所を守る僧侶は誰もいない状態であった。 もともと比叡山は聖地として女人禁制であった。1872年(明治5年)に明治政府の神仏分離政策の流れの中で、神仏混淆の修験道に廃止令が出されたことを受けて解かれることとなったが、最澄の廟所である浄土院においては、なおその結界が固く守られている。聖域であるがゆえに清浄が求められ、草一本、落葉一枚残していてもいけないと、掃除地獄と呼ばれるほどの徹底した掃除が侍真以下助番、寺務員により毎日欠かすことなくなされている。
※この「浄土院」の解説は、「十二年籠山行」の解説の一部です。
「浄土院」を含む「十二年籠山行」の記事については、「十二年籠山行」の概要を参照ください。
- 淨土院のページへのリンク