海くれて鴨のこゑほのかに白し
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季 語 |
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季 節 |
冬 |
出 典 |
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前 書 |
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評 言 |
「野ざらし紀行」の帰途桑名から熱田に入りその後名古屋で荷兮野水、杜国らと「冬の日」の五歌仙を巻く。「七部集」の中でも最も緊張した展開をはらんだ興業だという。 その緊張の後、熱田に戻りそこで得たのが掲句である。「海辺日暮らして」と詞書がある。また「熱田皺筥物語」には〈尾張の国あつたにまかりける比、人々師走の海みんとて舟さしけるに〉としてこの句を立句にした歌仙もあるという。 緊張から解放された気持ちからなのか、投げ出したような、しかしそれだけにくれてゆく海にいて鴨の声を聞いたときの自然と一体となった感情の動きが臨場感とともに迫ってくる。芭蕉の句の中でもめずらしく時代や背景を考えずに直接に感性に訴えてくる句であると言える。 この「白し」は夕暮れが白いということもあるかもしれないが「おもふ心の色、物と成りて句姿定まる」(あかさうし)という、その心の色なのではないか。そうした心の色に呼応するように、「海くれて鴨のこゑほのかに白し」と自然に口をついてでてきたのだろう。 「海くれてほのかに白し鴨のこゑ」とすればきっちりとした句姿にはなるが、それでは芭蕉の心の動きや襞のようなものが見えなくなる。「海くれて鳴く鴨のほのかに白し」では鴨そのものが白いというだけになり、芭蕉の息遣いはすっかり消えてしまう。 この句を立句にした歌仙はみじめなものだったという。それ程に斬新な一句であり、発句らしくない発句だとも言えるようだ。連衆あってこその歌仙であるとすれば、この突出した句も「文台引き下ろせば則ち反故也」ということであるのだろうが、この句を捨てるに忍びなく「野ざらし紀行」に入れたとすれば、芭蕉の心中にはどのような思いがあったのだろうか。 |
評 者 |
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備 考 |
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