浅草の「師匠」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/09 06:24 UTC 版)
深見はテレビでの活動に背を向け、最後まで浅草の舞台で芸人人生を全うした。深見の舞台は主にストリップ劇場での、いわゆる「幕間」のコントであったが、非常に面白いと評判を呼んだ。ストリップ劇場であるから客は踊り子の裸目当てに入場しており、コントになると怒号混じりの野次が飛ぶ事も多かった。深見はそんな客を「うるせえ、黙って観てろ!」と一喝して黙らせ、何事もなかったようにコントを続行し、野次を飛ばした客自身も笑わせる事もあったという。 深見は特に同じ浅草系の芸人に評価が高く、「師匠」と呼ばれていた。それは「浅草に深見以外に師匠はいない」という敬意を含んだ特別な意味だった。芸人以外の浅草の人々からも師匠と呼ばれていた。不自由な手でギターなどの楽器を操りタップダンスを踏むなど多芸多才。アドリブや時事ネタから、場所柄の下ネタまでをも盛り込むコントが持ち味。後にテレビの世界で大活躍する東八や萩本なども深見に世話になっていた。その他にも深見のファンを自称する者は数多い。しかし、深見が劇場の幕間コントに執着し、テレビ番組に背を向けていた事や、当時の8ミリフィルムの記録が残っているわけでもなく、家庭用ビデオデッキがほとんど普及していなかったこともあり、深見の舞台の映像記録は一部しか現存していない。このことから「幻の浅草芸人」と呼ばれている。
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