活動休止、改名、そして解散
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/24 18:16 UTC 版)
「マッド・シーズン」の記事における「活動休止、改名、そして解散」の解説
バンドは活動休止前の1995年の春期までコンサートを続けていたため、メンバー達はメインのバンドの活動に戻ることができた。この時期に、1995年4月29日にシアトルのムーア・シアターで収録されたライブ公演の模様を収めた「Live at the Moore」がVHSでリリースされた。同時期にジョン・レノンのトリビュート・アルバムである「Working Class Hero(邦題:ワーキング・クラス・ヒーロー)」に、ジョン・レノンの「I Don't Wanna Be a Soldier(邦題:アイ・ドント・ワナ・ビー・ア・ソルジャー(兵隊にはなりたくない))」のカバー曲を提供している。1996年に「River of Deceit」のライブバージョンがコンピレーション・アルバムの「Bite Back: Live at Crocodile Cafe」で世に出たが、この時にはすでにマッド・シーズンは長らく休止状態であったためマクレディとマーティンはそれぞれのバンドでの活動に戻り、ソーンダースはザ・ウォークアバウツに加入した。 1997年にマクレディ、ソーンダースそしてマーティンがマッド・シーズンを復活させようと試みたが、ステイリーの健康状態は重篤なドラッグ依存によって脅かされており、彼は1996年7月のアリス・イン・チェインズのコンサート以降二度と公演をおこなうことはなかった。それによりマッド・シーズンはボーカリストが欠員という状態になってしまった。ステイリーと共に活動が出来なくなったため、バンドはAboveでゲストボーカルを務めライブにも登場したマーク・ラネガンを新しいボーカリストとして迎えた。フロントマンが交代したので、1997年の終わりにバンド名をDisinformationに変更した。 聞くところによると、1998年にDisinformationのデビューアルバムの制作が始まる見込みだったが、全メンバーの多忙なスケジュール下で同時にスタジオ入りすることが困難となった。一年の間に4人は徐々にばらばらになっていき、アルバム制作は一層実現から遠のいてしまっていた。この計画に対して決定的な打撃を与えたのは、1999年1月のソーンダースのヘロインの過剰摂取による死去であった。メンバー達は彼の死を知り深い悲しみに暮れた。今まで公式発表はなされていないが、ステイリーが1999年7月のアリス・イン・チェインズのインタビューの中で、マッド・シーズンが解散したことを認めている。
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