津波の到達
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/02 14:58 UTC 版)
児童らが県道に出た直後、堤防を乗り越えた巨大な津波が児童の列を前方からのみ込んだ。列の後方にいた教諭と数人の児童は向きを変えて裏山を駆け上がり、一部は助かったが、迫りくる津波を目撃して腰を抜かし、地面に座り込んで避難できなくなった児童もいた。家族が車で迎えに出向き、独自に避難した児童は助かった。 教諭の中で唯一生存した男性は、その列の最後尾にいて学校の裏山に登って助かった。その際にこの男性教諭は、3年生の男子生徒を助けている。 津波から裏山方向に逃げて助かった5年生の児童は、「津波が来るのが見えたので山側に走った。雪で滑って登れなかった。波に押し上げられて山の途中で土に埋まって動けなくなった」と証言している。また、その埋もれた児童を助けたのは、同じように流された同級生で「骨折した左手で土を掘った」と語っている。 避難先として選定した三角地帯も標高不足で津波にのみ込まれており、仮に避難が完了していたとしても被害は避けられなかった。避難先の北上川堤防付近の標高は6 - 7 mであったが、予想津波高は15時14分には当初の6 mから10 mへと変更されていた。 当時得られた情報から「想定を超える規模の津波の到達」を予見できたか否かは、後に起こされた民事訴訟で争点となった。
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