波多野爽波とは?

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波多野爽波

波多野爽波の俳句

あかあかと屏風の裾の忘れもの
いろいろな泳ぎ方してプールにひとり
きれぎれの風が吹くなり菖蒲園
ちぎり捨てあり山吹の花と葉と
ねんねこの人出て佇てり鞍馬山
チューリップ花びら外れかけてをり
入学の朝ありあまる時間かな
冬ざるるリボンかければ贈り物
冬空や猫塀づたひどこへもゆける
大金をもちて茅の輪をくぐりけり
掛稲のすぐそこにある湯呑かな
末黒野に雨の切尖限りなし
柿の木と放つたらかしの苗代と
桜貝長き翼の海の星
炬燵出て歩いてゆけば嵐山
老人よどこも網戸にしてひとり
西日さしそこ動かせぬものばかり
金魚玉とり落しなば鋪道の花
骰子の一の目赤し春の山
鳥の巣に鳥が入つてゆくところ
 

波多野爽波

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/27 07:21 UTC 版)

波多野 爽波(はたの そうは、1923年1月21日 - 1991年10月18日)は、東京府出身の俳人高浜虚子に師事、「ホトトギス」同人、俳誌「青」を創刊・主宰。本名・敬栄(よしひで)。


  1. ^ 父は東大卒業後日本銀行に入るも、日本活動写真(日活)へ転職、年の全日本陸上競技連盟設立に尽力、プロ野球・セネタース創設に関わるなどした後、1942年には映画会社の戦時統合による大日本映画製作(大映)誕生に尽力、常務となっている。徹底したリベラリストであった。1945年1月の東京空爆で負傷、4月、肺炎で死去。
  2. ^ 辰子は1903年(明治36年)生まれ、中山姓。星野立子と同じ辰年で、東京の富士見台小学校で立子が鎌倉へ引越すまでの暫くを同級生として過ごしている。八瀬女の号で「ホトトギス」に投句してもいる。1946年(昭和21年)6月発疹チフスで急逝、虛子は《美しきさうびを君の夏花とす》という弔句を爽波に送り、虛子庵で追悼句会を催した。
  3. ^ 敬直は、出自を丹波国丹波氷上城を築いた戦国武将・波多野宗高の末裔と称している。
  4. ^ 中山姓。薩摩藩城代家老の家系であった。
  5. ^ 爽波は、「ホトトギス」1941年4月号に、仲間の前島秋香とともに、「学習院木犀会」という句会紹介文を書いている。
  6. ^ 三島は当時のことを「青」創刊号(1953年10月号) に「『恥』」という題で寄稿している。《ナプキンの角鋭しや冬薔薇》は、爽波が記憶している当時の三島の句である。(『波多野爽波全集 第三巻』p.22)。「青」への寄稿は「恥」を含めつごう四回、角川書店「俳句」昭和43年10月号の爽波特集にも「人と作品」を寄稿している。
  7. ^ 爽波は講演を「ホトトギス俳句は、誤解を恐れずに一言に言えば、古い。若い作者がこれを安易に肯定していては駄目です」と切り出した。ただし、「かつらぎ」主宰の阿波野青畝は、この講演を諾う葉書を爽波へ送っている。
  8. ^ 宇佐美魚目馬場駿吉・長岡一彫子・神尾季羊・本郷昭雄・友岡子郷神尾久美子が受賞している。


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