法曹・政治家として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 05:09 UTC 版)
「サンドラ・デイ・オコナー」の記事における「法曹・政治家として」の解説
ロー・スクールでの実績にもかかわらず、女性であることを理由に、カリフォルニアの法律事務所の中にはオコナーを弁護士として雇おうとするところはなかった。リーガル・セクレタリーとしての雇用オファーをする事務所がひとつあったのみである。そこで彼女は、公務員としてのキャリアを積むこととし、1952年から1953年にかけて、カリフォルニア州サンマテオ郡の郡次席検事を務め、次いで、1954年から1957年の間には、ドイツのフランクフルト・アム・マインにおいて民間人の資格で陸軍補給将校付の弁護士の職にあった。その後、1958年から1960年までの間フェニックス近郊のメアリーヴェールで民間の弁護士業に就いた後、1965年から1969年にはアリゾナ州の司法次官補(アメリカでは連邦政府の司法長官以外に各州政府ごとに司法長官が置かれている。オコナーが務めた州司法次官補は連邦政府の序列と同様に、州司法長官・州司法次官に次ぐ第3番目のポストである。)を務めた。 1969年には、共和党のジャック・リチャード・ウィリアムス(en:Jack Richard Williams)知事によってアリゾナ州議会の上院議員に任命された。その後二度の選挙で再選されて、共和党議員として、二年の任期を二期務めた。この間、1973年には上院多数党院内総務に選出されている。 1975年、オコナーは、マリコパ郡上級裁判所の判事に選出され、1979年まで務めた後、同年、民主党員であるブルース・バビット(Bruce Babbitt)知事によってアリゾナ州最高裁判所の判事に任命された。このように、アリゾナ州の政界に身を置く間に、オコナーは三権のすべてに仕えたこととなる。
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