沈覲鼎
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沈 覲鼎(しん きんてい[2]、1894年 - 2000年6月)は、中華民国(台湾)の外交官・学者。北京政府・国民政府で外交官としての経歴を重ね、各国大使を歴任した人物である。字は渝新。なお、清末の政治家である沈葆楨は曾祖父にあたる。祖父は沈瑋慶。父は沈賛清。
- ^ 劉国銘主編 『中国国民党百年人物全書』725頁、Who's Who in China 5th ed., 1936, p.202、『最新支那要人伝』135頁による。徐友春主編『民国人物大辞典 増訂版』760頁は1896年とする。
- ^ 『最新支那要人伝』135頁は「ちん きんてい」との読みを当てている(更に言えば、同書は沈姓の人間全員に「ちん」の読みを当てている)が、これは明らかに誤り。姓としての「沈」はshĕn(同義漢字は「瀋」)、すなわち「しん」の読みが正しい。「沈」を「ちん」と読む場合には、chén(同義漢字は「沉」)でなければならない。
- ^ 外務省情報局第一課『外務省発表文集 第一号(昭和三十年)』「一三、外交使節及び外国人叙勲関係」「12 駐日ヴィエトナムおよび中華民国大使の信任状捧呈について」
- ^ 『最新支那要人伝』136頁によると、「人民の三原則」という題名で刊行された模様である。
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