沈重とは? わかりやすく解説

ちん‐ちょう【沈重】

読み方:ちんちょう

[名・形動落ち着いていて、おもおもしいこと。また、そのさま。

始終—な玄機に制馭(せいぎょ)せられていた」〈鴎外魚玄機


沈重

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/08 23:12 UTC 版)

沈 重(しん ちょう、500年 - 583年)は、中国南北朝時代儒学者官僚は徳厚、あるいは子厚。本貫呉興郡武康県

経歴

幼くして父を失い、成長すると儒学に専心して、広く諸書を読み、とくに『詩経』・三礼および『春秋左氏伝』に明るかった。大通3年(529年)、南朝梁に仕えて王国常侍を初任とした。中大通4年(532年)、国子助教に任じられた。大同2年(536年)、五経博士となった。承聖元年(552年)、梁の元帝が即位すると、主書の何武を沈重のもとに派遣して、江陵に迎えた。承聖3年(554年)、江陵が西魏于謹らに攻め落とされ、元帝が敗死すると、沈重は後梁蕭詧に従い、中書侍郎に任じられ、中書舎人を兼ねた。次いで員外散騎侍郎・廷尉卿に累進し、江陵県令を兼ねた。さらに通直散騎常侍・都官尚書に任じられ、羽林監を兼ねた。蕭詧の命により合歓殿で『周礼』を講義した。

北周武帝に求められて、保定末年に長安に入り、五経について討論し、鐘律を校定した。天和年間、武帝の命により紫極殿で儒教道教仏教の三教の教義について講論した。朝士・儒生・桑門道士ら2000人あまりの集まるなか、沈重の弁論と解釈は明晰であったことから、儒者たちの推すところとなった。天和6年(571年)、驃騎大将軍・開府儀同三司・露門博士に任じられた。さらに露門館に在籍のまま、皇太子講論をつとめた。

建徳末年、長安に入朝して久しかったことから、江陵に帰りたいと願い出て、武帝の許しを得た。小司門上士の楊汪に送られて、江陵に帰った。後梁の蕭巋のもとで散騎常侍・太常卿に任じられた。大象2年(580年)、再び長安に来朝した。開皇3年(583年)、死去した。享年は84。使持節・上開府儀同三司・許州刺史の位を追贈された。著書に『周官礼義疏』40巻・『儀礼義』35巻・『礼記義疏』40巻・『毛詩義疏』28巻・『喪服経義』5巻・『周礼音』1巻・『儀礼音』1巻・『礼記音』2巻・『毛詩音』2巻があり、当時に通行した。

伝記資料

  • 周書』巻45 列伝第37
  • 北史』巻82 列伝第70

沈重

出典:『Wiktionary』 (2021/08/13 12:58 UTC 版)

名詞

ちんちょう

  1. 落ち着いていて重々しい様子

形容動詞

活用

ダ型活用
沈重-だ



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