江戸時代の片平丁とは? わかりやすく解説

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江戸時代の片平丁

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/23 21:41 UTC 版)

片平 (仙台市)」の記事における「江戸時代の片平丁」の解説

江戸時代発音は「かだっしゃちょ」(→仙台弁#仙台弁の地名・固有名詞)。 仙台城下町中心芭蕉の辻がある仙台中町段丘と、広瀬川水面に近い仙台下町段丘との間には落差のある段丘崖がある。この段丘崖の直上、すなわち、仙台中町段丘の西縁から南縁を縁取るように長く連なる町および道が片平丁呼ばれた。 崖に近い道の西側はじめのうち人家がなく、東側にだけ屋敷連なったことが、片平の名の由来とされる。「偏片町」とも呼ばれた。 江戸時代の片平丁の範囲広く、北は北一番丁南側支倉町現在の仙台市民会館北端)から、南は現在の片平までを指した広瀬川右岸青葉山段丘にある仙台城対峙して広瀬川左岸段丘崖直上にある片平丁には、一門一家一族宿老など、伊達氏一族および仙台藩重臣大屋敷置かれていた。これらの一族重臣たちは、他藩の大名並み石高有していたため、「大名小路」とも呼ばれた。また「大広町」とも、「広丁」とも言った幕末頃には、大町以北大名小路以南片平丁と呼ぶようになったという。現在の片平は、この幕末片平丁範囲踏襲している。大名小路の方は明治期接収され、現在は西公園になっている

※この「江戸時代の片平丁」の解説は、「片平 (仙台市)」の解説の一部です。
「江戸時代の片平丁」を含む「片平 (仙台市)」の記事については、「片平 (仙台市)」の概要を参照ください。

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