江戸時代の沿革
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豊臣政権時代から約70年間の上杉藩支配。 元和4年(1618年) - 西根下堰着工。 寛永2年(1625年) - 西根上堰完成。費用は5万7千両。 万治3年(1659年) - 上杉家による信達検地。 寛文4年(1664年) - 上杉家の跡目騒動により、上杉藩は30万石から15万石に減封。伊達郡と信夫郡は天領となる。 寛文11年(1671年) - 信達検地。 延宝7年(1679年) - 信夫郡とともに福島藩(本多氏1代)となる。 天和2年(1682年) - 本多氏が播磨姫路藩に転封となったことにより、伊達郡は天領となる。以降、伊達郡の大部分は、明治維新まで天領となった。桑折、下手渡(しもてど)、梁川に関しては以下に詳説。 寛延2年(1749年) - 大凶作で信達両郡幕領惣百姓一揆・訴願。いわゆる天狗騒動。 宝暦5年(1755年) - 大凶作、水害。 明和年間(1764年 - 1769年ごろ) - 福島の回漕業者である渡辺十郎右衛門が、阿武隈川の改修。舟運が開ける。 安永1年(1772年) - 大凶作。 天明3年(1783年) - 春の長雨、夏に浅間山噴火により大凶作。天明の大飢饉が始まる。 天明4年(1784年) - 飢饉により餓死者相次ぐ。 寛政8年(1796年) - 凶作。米がとれずに米価高騰。 寛政10年(1798年) - 米価高騰で百姓騒動。 文政8年(1825年) - 大凶作。 天保4年(1833年) - 大凶作。天保の大飢饉始まる。 天保6年(1835年) - 凶作。 天保7年(1836年) - 大凶作。餓死者相次ぐ。 嘉永4年(1851年) - 信夫郡・伊達郡で、信達二郡百姓一揆。 嘉永5年(1853年) - 掛田に救惣連(小作人の互助組織)ができる。 慶応2年(1866年) - 信夫郡伊達郡180村で5万人が参加する大規模世直し一揆(信達騒動打ち壊し)が起きる。
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