求められる麺を追求
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/24 14:31 UTC 版)
宮内は、取引先を開拓すべくひたすら店を訪ねて歩いたが、当初は知名度がなく、アイテム(製品)も少ないため門前払いばかり。それでも吉祥寺のあるラーメン店の店主:31の感想:149をヒントに小麦やかんすいの種類、塩や水の配合を変え、何度も違う麺を作り直し、足繁く通った。「職人のこだわり」に寄り添うこと:162、「(麺は)スープとの相性」が大切であること:2:86を実感した出来事であった。 これを切っ掛けに中華麺では後発であるが、その不利な条件を克服し、取引先を開拓していくため「オーダーメイドの麺」「特注麺」を作るという方策を取るようになった。店主の話に真摯に耳を傾け、その要望に可能な限り応えるというスタイルは積み重ねることで徐々に評価されるようになる。 1999年に知人の紹介で「支那そばや」(横浜市戸塚区)の創業者である佐野実と出会う。同店は自家製麺を使用していたが、2000年の「新横浜ラーメン博物館」に出店の際、佐野から「その店には麺を卸して欲しい」との依頼を受け、取引を行った。1年後、その店との取引はなくなったが、佐野が取引先を紹介してくれたり、「ラーメンの鬼が三河屋製麺の麺を使用していた」ということが広まったりしたことで、取引先が増えていった。現在は、新旧・ジャンルを問わず、数多の老舗や実力店(TRYラーメン大賞受賞店やミシュランガイド掲載店など)に供給している。メディアで取引先が取り上げられる中で、三河屋製麺製の麺を使用している旨も紹介され、その機会が増えることにより、三河屋製麺の名が全国へ広く認知されるようになった。
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