水戸藩の尊王志士・義民たる川崎氏
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「川崎氏」の記事における「水戸藩の尊王志士・義民たる川崎氏」の解説
また、水戸藩士及び領民のうちにも川崎氏あり。 川崎孫四郎 水戸藩士。水戸藩家老・安島帯刀の従者、また郡吏を務める。家系は川崎氏。川崎長貴の四男に生まれる。変名は篠崎源太郎。諱は健幹。桜田門外の変に際しては大坂にて連絡係を務めた。万延元年(1860年)3月3日、自刃を企てて重傷、翌日亡くなった。位階は贈正五位。靖国神社に合祀。 川崎尹介 常陸国久慈郡茂宮村の郷士。諱は永教。天狗党の乱に加わり、元治元年(1864年)、那珂湊より久慈郡中染村へと転戦し、9月9日、二本松藩と戦い討ち死にする。享年43。靖国神社合祀。 川崎金左衛門 久慈郡留村の百姓。諱は国義。慶応2年(1866年)6月16日、江戸佃島で獄死する。靖国神社合祀。 川崎健之介 久慈郡磯部村の百姓。銕之介とも。佐次衛門の三男。天狗党に加わり、西上するも捕えられる。、慶応元年(1865年)2月16日、越前国敦賀で斬首。靖国神社合祀。 川崎寿介 久慈郡上土木内村の里正。諱は義長。天狗党に加わり捕えられる。慶応2年(1866年)7月22日、江戸佃島で獄死する。享年53。靖国神社合祀。 川崎善七 久慈郡上土木内村の百姓。組頭。諱は義彪。天狗党に加わり、捕えられる。慶応2年(1866年)6月7日、江戸佃島で獄死する。享年54。靖国神社合祀。 川崎源八 久慈郡上土木内村の百姓。文久3年(1863年)、新徴組に加わり天狗勢として活動する。元治元年(1864年)、常陸府中で幕府軍に捕えられ、慶応元年(1865年)10月7日、水戸田彦原にて磔刑となる。靖国神社合祀。 川崎兵次郎 常陸国の百姓。天狗党に加わり、元治元年(1864年)8月、下妻で討ち死にする。靖国神社合祀。
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