水戸藩の寺社改革
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 14:43 UTC 版)
水戸八幡宮が影響を受けた水戸徳川家の寺社改革は、徳川光圀の寛文年間(1661-1673年)と、徳川綱條の元禄年間(1688-1703年)の二期にかけて実施された 。主な政策は、寛文年間は「寺院整理」及び「一村一鎮守制の確立」、元禄年間は「神社からの仏教的性格の払拭」だった。 寺社改革のうち、神社に関わるものを「神社改め」「鎮守改め」(「改め」は「御改」ともいう)というが、八幡社の改廃が際立つことから「八幡改め」ともいう。非難がましく言及する場合には「八幡潰し」ということもある。この時の「徳川光圀の検分」により祭神、神体、社名等を改めた云々という由緒を持つ神社は、八幡社に限らず、茨城県内各所に存在している。なお、八幡社が標的にされた理由としては、八幡信仰が神仏習合と密接であったことに加え、水戸徳川家の前に500年近くにわたって水戸藩域を支配してきた佐竹氏が地域の土着神や旧来の豪族が崇敬する神に代わる形で八幡社を広めた経緯があり、旧支配層(佐竹氏)との関係を断ち切る意図があったとする指摘もある。
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