水戸藩の川澄氏
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江戸時代初期、水戸藩士 川澄勘解由幸隆なる武士がおり、旧佐竹家臣 安島善衛門信重の長女を妻とするという。その縁で妻の甥 安島治左衛門信次が水戸藩士に推挙されるという。この治左衛門より6代目の末裔が幕末の水戸藩家老 安島帯刀信立である。 なお、幕末の水戸藩で志士・義民として活躍した人物に川澄姓の者がいるので以下に記載する。 川澄次郎左衛門 茨城郡小幡村の百姓。天狗党の乱に天狗方に与し、元治元年(1864年)7月25日、水戸城南 藤柄町で討ち死にする。享年43。靖国神社合祀。 川澄善兵衛 別称 鬼平とも。茨城郡小幡村の百姓。天狗勢に加わり西上するが捕えられる。慶応元年(1865年)2月16日(15日とも)、越前国敦賀で斬首。享年28。靖国神社合祀。
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