水主神社 (城陽市)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 水主神社 (城陽市)の意味・解説 

水主神社 (城陽市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/03 03:47 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
水主神社

拝所(後方は本殿)
所在地 京都府城陽市水主宮馬場1
位置 北緯34度50分36秒 東経135度45分41秒 / 北緯34.84333度 東経135.76139度 / 34.84333; 135.76139 (水主神社 (城陽市))座標: 北緯34度50分36秒 東経135度45分41秒 / 北緯34.84333度 東経135.76139度 / 34.84333; 135.76139 (水主神社 (城陽市))
主祭神 天照御魂神
天香語山命
山背大国魂命
社格 式内社(大)
府社
創建 崇神天皇の御代
本殿の様式 流造
例祭 11月中旬日曜日
地図
水主神社
テンプレートを表示

水主神社(みずしじんじゃ)は、京都府城陽市水主宮馬場に鎮座する神社である。式内大社で、旧社格府社

祭神

由緒によると、現在祀られている祭神は以下の十柱であるとする。

しかし、『全国神社祭祀祭礼総合調査』によると、祭神は以下の五柱とある。

  • 天照御魂神
  • 天香語山命
  • 山背大国魂命
  • 大縫命
  • 小縫命

延喜式神名帳』によると、「水主神社 十座 並大 月次新嘗 就中同水主坐天照御魂神水主坐山背大国魂命神二座預相嘗祭」とあることから、当初は祭神が十柱いたこと、そのうちの二柱が天照御魂神、山背大国魂命であることが窺える。

歴史

創建

社伝によると、崇神天皇の時代、豊鋤入姫命をして天照大神を倭笠縫邑に遷し、また淳名城入姫命をして、倭大国魂命を倭、山背大國魂命を山背の二国に祀らしめたとし、このうち山背に奉斎したのを当社とする。『新撰姓氏録』(815年)に「山城国神別 水主直 火明命之後也」とあることから、本来はこの水主直が祖神である天火明神(天照御魂神)を奉斎した神社と推測される。

概史

天安2年(858年)に雨乞、貞観元年(859年)には風雨祈祷がされるなど、国史では当社への祈雨奉幣のの記事が散見され、更に『延喜式臨時祭では祈雨神祭八十五座に選定されているなど、祈雨に対し霊験が強いとされていた。『延喜式神名帳』では大社に列格した。

神階

境内

拝殿より奥は鉄格子に守られており、本殿や境内社も含めいずれもその中にあるため、本殿前まで近寄ることはできない。正面に水主神社本殿があり、左側に樺井月神社(後述)、右側に衣縫神社が鎮座する。

樺井月神社

樺井月神社
所在地 京都府城陽市水主宮馬場1
位置 北緯34度51分17秒 東経135度47分22.4秒 / 北緯34.85472度 東経135.789556度 / 34.85472; 135.789556
主祭神 月読命
社格 式内社(大)
創建 不詳
本殿の様式 流造
例祭 2月20日
テンプレートを表示

樺井月神社(かばいづきじんじゃ)は、水主神社の境内社である。式内大社

歴史

創建年代は不詳だが、同じ綴喜郡の式内社に月読神社があり、関係性が指摘されているほか、かつては月読神社と共に大住に鎮座していたとされる。しかし、木津川の氾濫により社殿を流失し、1672年寛文12年)に水主神社の境内に遷座した。以降は水主神社の兼掌となった。

神階

現地情報

所在地

交通アクセス




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「水主神社 (城陽市)」の関連用語

水主神社 (城陽市)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



水主神社 (城陽市)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの水主神社 (城陽市) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS