水中博物館
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/31 03:45 UTC 版)
三峡ダムの建設によって、高さ135メートルまで水位が上昇し、白鶴梁は、全体が水深40メートルほどの水中に没して水面上に露出することが不可能になった。そこで2001年に、中国科学院の院士である葛修潤(中国語版)が「無圧容器(无压容器)」を用いて水中の史跡を保護する方策を提案し、もともとの場所に水中博物館が建設されることになった。 圧力の原理を利用する形で、内部と外部に水が入った保護筐体が設けられ、観光客は川岸から水中の通路を通って博物館に入り、白鶴梁に刻まれた碑文を鑑賞することができるようになった。白鶴梁水中博物館(白鶴梁水下博物館)は、2009年5月18日に正式に開館し、千年を経た水文調査の施設が、再び陽の目を見ることとなった。2011年夏から8カ月にわたって閉館して改造工事が施され、2012年3月に再び開館した。 地上の施設から水中の博物館までゆく経路となっているエスカレーターは、長さ88メートル、深さ40メートルで、アジア最長のトンネル式エスカレーターとされている。 詳細は「zh:白鹤梁水下博物馆」を参照
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