民進党離党
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 15:10 UTC 版)
2017年4月10日、民進党が日本共産党との共闘路線を採用し、党の基本政策に影響を及ぼすことになったことは受け入れがたいとし、離党届を提出。 離党会見の中で、民進党が「党内ガバナンス」で一致結束し、「アベ政治を許さない!」と叫ばされるだけであったこと、過去に党が容認していた消費税、TPP、ACSA(物品役務相互提供協定)、秘密保護法制、安保法制、憲法改正論議、共謀罪等について、全て反対、徹底抗戦、廃案路線に変更したこと、建設的な提案もないままに「行き詰まると、院外のデモ隊の中に飛び込んで、アジる、煽る、叫ぶ」行動を求められたことなどを批判した。 これに対し、同党の野田佳彦幹事長は「東京都議選を間近に控え、選挙を取り仕切る党都連幹事長としての責務を放棄する背信行為だ」と批判し離党届を受理せず、同月11日の常任幹事会で長島を除籍(除名)処分とする方針を決定し、25日に正式に除籍処分となった。同日、民進党に所属する東京都議ら7人が、長島と行動を共にするとして離党届を提出した。
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