民主党結党・初代民主党代表
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「菅直人」の記事における「民主党結党・初代民主党代表」の解説
1996年9月28日、新党さきがけの鳩山由紀夫が旧民主党を旗揚げすると、これに菅も参加。菅は鳩山と共に代表となり旧民主党が結党された。結党当初は衆議院議員50人、参議院議員5人の計55人が参加した。同年10月20日、初の小選挙区比例代表並立制での選挙となる第41回衆議院議員総選挙に東京18区から立候補し当選。(6期目) 1998年4月27日に新進党分党後に誕生した統一会派「民主友愛太陽国民連合(民友連)」と合流し新民主党を結成、党代表となる。合流当初は衆議院議員98人、参議院議員38人の136人が参加した。 1998年7月12日の第18回参院選で27議席を獲得する。参議院は自民党が過半数割れとなり、当時総理大臣だった橋本龍太郎は敗北の責任を取り、内閣を総辞職した。内閣総理大臣指名選挙では、自由党と日本共産党は第一回投票から菅に投票し決選投票では公明・改革クラブ・社民党・さきがけの支持もあり参議院では首相に指名されたが、衆議院の優越により衆議院の議決で指名された小渕恵三が首相となった。 1999年(平成11年)に2回行われた民主党代表選挙で、1月の代表選では再選するが松沢成文と拮抗し、9月の代表選では鳩山由紀夫に敗北した。この直後、党政策調査会長に就任した。
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