民主党の下野
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2012年12月16日の第46回衆議院議員総選挙では、遠藤との6度目の対決を迎えるも、民主党に対する激しい逆風の中敗北。比例復活もならず、7年ぶりに落選した。また、この選挙の結果、民主党は惨敗して下野することとなり、再び自民党政権となった。 選挙前から民主党不利、自民党の政権復帰が半ば確実視されていたが、週刊誌などでは鹿野の衆議院副議長就任が予想されていた。同じく山形県の選出であり、当選13回を数えた自民党の重鎮加藤紘一(山形3区)の衆議院議長就任の可能性も予想され、同一県内での議長副議長独占も考えられた。しかし、加藤も支援団体の分裂により保守系無所属の阿部寿一に票を奪われ、高齢により党規で比例重複が出来なかったことから落選が確定。鹿野と揃って議長・副議長就任は幻となった。同年の落選後は人材育成のため「愛山塾」を開いた。 2013年7月21日の第23回参議院議員通常選挙に民主党の比例区から立候補するも、落選した。また、同時に政界からの引退を表明した。 2014年4月、旭日大綬章を受章。 2021年10月21日、真性多血症のため、山形市内の病院で死去。79歳没。死没日をもって正三位に叙された。
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