母 (三浦綾子の小説)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/28 06:58 UTC 版)
『母』(はは)は、三浦綾子の小説である。
1992年に角川書店にて刊行し、1995年に角川文庫に収録された。
内容
『蟹工船』で知られるプロレタリア作家・小林多喜二の母・小林セキ(1873年 - 1961年)を語り手とした小説[1]。
多喜二が亡くなってから27年、第二次世界大戦の終戦から15年後[2]、北海道に暮らす88歳のセキが、訪ねてきた人を相手に、自分の一生を振り返りながら、わが子多喜二の人生をも浮き彫りにし[3]、最後にはキリスト教での葬儀を希望するに至るまでの思いを、全編東北弁を交えて独白する[4]。
著者によれば、この題材で小説を書くよう依頼したのは夫の三浦光世である[5]という。当初は小林多喜二のこともよく分からず、戸惑いもあったが、「多喜二の母は受洗した人だそうだ」という夫の一言が執筆のきっかけになった[5]。自分から書きたいと願った題材ではなかったものの、取材を始めてから次第に熱が入り、感動とともに書き終えた[5]とする。取材の途中、多喜二の母が受洗していないことを知って書く気を失ったが、さらに深く掘り下げて調べてみることで、挫折感を振り切ることができた[5]という。
映画化
2016年、『母 小林多喜二の母の物語』として映画化。2017年公開。
舞台化
- 1993年から前進座で、2005年から劇団アドック[6]で上演している。
- 河東けい(関西芸術座)が1993年から『母-多喜二の母』の題名で一人芝居として主に関西で上演を続けている。中国、韓国でも上演された。
- 朗読劇「マザー」(2023年7月7~8日、全2回公演、芦屋ルナ・ホール)主催:尋の塾[7][8]
- 朗読劇「マザー」(2023年9月17日、クレオ大阪東)[9]
- 朗読劇「マザー」(2025年5月10~11日、全3回公演、宝塚市立文化施設ソリオホール)主催:尋の塾[10]
関連項目
脚注
- ^ 『三浦綾子全集』第十四巻、主婦の友社、1993年、384頁。
- ^ 『三浦綾子全集』第十四巻、主婦の友社、1993年、355、368頁。
- ^ 『三浦綾子全集』第十四巻、主婦の友社、1993年、391頁。
- ^ 『三浦綾子全集』第十四巻、主婦の友社、1993年、378、384頁。
- ^ a b c d 『三浦綾子全集』第十四巻、主婦の友社、1993年、378頁。
- ^ 劇団アドック 上演作品「母」
- ^ “【お知らせ】2023年7月7日(金)19時開演・8日(土)13時開演、朗読劇「マザー」がルネッサンス クラシックス芦屋ルナ・ホール(兵庫県芦屋市)にて上演されます。原作/三浦綾子『母』”. 三浦綾子記念文学館 (2023年6月22日). 2025年5月12日閲覧。
- ^ “講演から演劇へ、元教授の思い 多喜二の母を朗読劇に 7月芦屋で”. 朝日新聞 (2023年6月2日). 2025年5月12日閲覧。
- ^ “三浦綾子『母』原作、喪失と回復を描いた朗読劇『マザー』大阪公演”. PR TIMES (2023年8月17日). 2025年5月12日閲覧。
- ^ “「マザー」再々上演”. kumakam (2025年2月4日). 2025年5月12日閲覧。
「母 (三浦綾子の小説)」の例文・使い方・用例・文例
- 私の母は言語学者です
- 私は母の顔に暗い影がさっとよぎるのを見た
- 彼は母の忠告に従った
- あなたのお母さんは年相応にはほとんど見えない
- 母さんも老けたなあと悲しく思った
- 母が病気だったので上司は私に2,3日余計に休むことを認めてくれた
- 彼女はほとんどまるで私の母親のような口ぶりだった
- 彼女は母親の病気にひどく苦しんでいる
- 彼は母親にしかられたとき口答えをした
- 母は彼女のことが気に入らない
- 母が私のために歯医者の予約をとっておいてくれた
- ロビンソン夫人はあなたのお母さんとほぼ同じくらいの年齢だ
- 母親は仕事の手を休めて息子の言い分を聞いてやった
- 私の母は授業料について問い合わせた
- 彼は祖母に強い愛情を抱いている
- 母は日曜日にはパンを焼く
- 彼の母のやさしさが父の厳格さを相殺するものとして働いている
- その小さな男の子は母親のそばに立っていた
- お母さんの助言は逆効果だったかもしれないが,君のためを思ってしたことを分かるべきだ
- 父は母よりも料理がうまい
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