母親K2・次男K4の審理
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「大牟田4人殺害事件」の記事における「母親K2・次男K4の審理」の解説
2005年5月17日、福岡地裁久留米支部(高原正良裁判長)にて、K2・K4両被告人について分離後初となる公判が開かれた。同日は公判が分離された被告人K3が検察側の証人として出廷し証人尋問が行われる予定だったが、当時K3は後述のように体調を崩し入院していたため、同日の公判を欠席した。 2005年6月21日の公判で被告人K3が検察側証人として出廷し、K3は被害者4人の殺害についていずれも「やっていない」と全面的に起訴事実を否認した一方、唯一起訴事実を認めた福岡地検久留米支部からの逃走事件について「逃走前夜に留置されていた久留米署で自殺を図ったが、死にきれなかったため死のうと思って逃げた」「親父(被告人K1)の近くで死のうと思い大牟田に向かった」「裁判所宛に『全部1人でやった』と遺書を書けば弟K4が助かると思った」と述べた。しかし閉廷後、K3は起訴事実を認めていた弟K4から「あんたの意見に同意してやる。生きられるか試してみろ」と言い放たれたことに激昂してK4に殴り掛かろうとした。 2005年10月11日の公判でもK3が再び検察側証人として出廷した。同公判で被告人K4の弁護人はB・D両被害者の殺害について「K3も銃を何発か撃ったのではないかと思う」とする被告人K2の供述調書を読み上げ、K3に対し「親に疑われてどう思うか」と尋ねたが、証言台にいたK3は「(K2のことは)実の親とも身内とも思っていない」と答えたところ、左後方の被告人席に座っていた弟K4が「アホか!殺すぞ」などと叫んで兄K3に殴り掛かろうとしたため、K3と口論になった。この騒動により高原正良裁判長が休廷を宣言し、公判は約15分間中断した。 2005年11月15日の公判で被告人質問が行われ、K2は被害者Aを殺害した経緯について「犯行当時約6000万円に上る借金を抱えており生活が苦しかったが、夫婦2人で古くから計画を練っていたわけでも親子4人で計画したわけでもない。その時だけ何かに取り憑かれたように『Aを殺害して金銭を奪おう』という話になった」と説明した。
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