母子不審死事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2014/07/09 12:24 UTC 版)
「北九州監禁殺人事件/del20140716」の記事における「母子不審死事件」の解説
話は前後するが、Xは死亡前のBによって北九州のマンションを居場所とした後で、同窓生だった女性と接触する。この女性は夫を持つ身であったが、Xから結婚を持ちかけられたことで夫と離婚した。 その後にXは結婚を餌に金を要求し、女性は別れた夫から親から様々な名目で金を無心、計1880万円の金がXに流れた。やがて夫や親からの送金が途絶えるようになり、1994年3月31日に女性(当時32歳)は大分県の別府湾に飛び込み自殺した。 その5ヶ月前の1993年10月29日に女性の次女(当時1歳)は頭部強打という形で急性硬膜下血腫で死亡。その際に、指名手配中のYが当時存命中だった次女の母親を騙って搬送された病院に付き添った際には「椅子から転がり落ちて頭を打った」と説明している。 2002年にXらが逮捕されて以降、この事件についてXらの犯罪が疑われた。逮捕後にYは「女児死亡については現場にいなかったので知らない」「女性は死亡する日までXから殴打や通電といった虐待を受けていた。死亡した日はXとともに別府市のホテルに行き、ホテルのフロントで女性に抱かせていた自分の長男を渡された後、女性が海に向かって走り出して投身自殺をした。その後、救急車のサイレンが聞こえたので北九州に逃げた」と供述している。 この母子の死亡は「限りなく他殺に近い」と表現されたが、刑事事件とはならなかった。
※この「母子不審死事件」の解説は、「北九州監禁殺人事件/del20140716」の解説の一部です。
「母子不審死事件」を含む「北九州監禁殺人事件/del20140716」の記事については、「北九州監禁殺人事件/del20140716」の概要を参照ください。
- 母子不審死事件のページへのリンク