死後、牝系の復興
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 17:32 UTC 版)
ヒサトモの系統は2000年代以降も数々の子孫が出走を続けている。しかし、20世紀後半の一時期、ヒサトモの血脈はいつ消滅しても不思議ではないほどの状況の中で細々と繋がっていた。そこから復興に至るまでの背景として、馬主の内村正則による長年の庇護の存在を抜きにして語ることはできない。 ヒサトモは第4仔ブリューリボンしか牝馬を産んでおらず、その死後、血統を後世に繋ぐことができる牝馬は同馬のみとなった。牡馬の中では第3仔ヒサトマンが種牡馬となったが後にその血は途絶えた。ブリューリボンはヒサトモと同様に繁殖成績は芳しくなく、第6仔トップリュウは政治家の田中彰治に購買されて繁殖生活を送っていたが、黒い霧事件による田中の失脚後にその手を離れた。 転機となったのは1967年で、当時新進馬主であった内村が、ヒサトモの曾孫に当たる牝馬を購買したことによる。トウカイクインと命名したその馬が6勝を挙げたことを1つのきっかけに、内村は競馬に深い興味を抱き、同馬の血統を詳しく調べた。この際に曾祖母ヒサトモがダービーを制した牝馬であることを知り、内村は「いつか大物が出る系統」と思い定め、ヒサトモの子孫を次々と購買し、その系統を保護し、牝系を繋いでいった。 果たしてそれは十数年を掛けてトウカイクインの末裔から結実し、ヒサトモの5代孫であるトウカイローマンが1984年に優駿牝馬に優勝、さらにその甥に当たるトウカイテイオーは1991年の東京優駿ほかGI競走で4勝を挙げ、1995年に顕彰馬に選出されるなど、内村にも馬主としての大きな栄誉をもたらして念願を叶えた。 その後もトウカイテイオーの半弟トウカイオーザ(2001年アルゼンチン共和国杯勝利)、トウカイローマンの従弟のトウカイタロー(1996年新潟記念勝利)などを輩出している。
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