死去と埋葬
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/11 08:05 UTC 版)
「マリア・フョードロヴナ (アレクサンドル3世皇后)」の記事における「死去と埋葬」の解説
1925年11月、終生特別な絆で結ばれていた姉アレクサンドラ王太后が死去し、マリヤにとってはこれが最後の身近な人との死別となった。1928年10月13日、ヴィズウーア城にて80歳で死去した。コペンハーゲンに建つ正教会の教会堂アレクサンドル・ネフスキー教会(英語版)での葬儀の後、皇太后の遺骸はロスキレ大聖堂に葬られた。 2005年、デンマーク女王マルグレーテ2世とロシア大統領ウラジーミル・プーチンの間で、マリヤ皇太后の遺体は故人の生前の意思に従いサンクトペテルブルクの夫の棺の隣に移される、とする政府間協定が結ばれた。2006年9月23日から28日にかけ、改葬に関わる種々のセレモニーが挙行された。改葬の儀式は、デンマーク王太子フレゼリクと王太子妃メアリー、イギリスのマイケル・オブ・ケント王子とその妻マリー・クリスティーン王女らの高位の賓客を迎えて盛大に行われたが、式自体は平穏無事とはいかなかった。皇太后の棺を取り囲む群衆の数があまりに多すぎて、棺が安置される予定の墓穴に若いデンマーク人外交官が転落する一幕があった。2006年9月26日、ペテルゴフのマリヤお気に入りのダーチャがあった場所の近くに作られたマリヤの彫像の除幕式が行われた。9月28日、聖イサアク大聖堂での儀式の後、マリヤの遺体はペトロパヴロフスキー大聖堂の、夫アレクサンドル3世の隣に安置された。マリヤが初めてロシアに到着してから140年、死去してから78年が経っていた。
※この「死去と埋葬」の解説は、「マリア・フョードロヴナ (アレクサンドル3世皇后)」の解説の一部です。
「死去と埋葬」を含む「マリア・フョードロヴナ (アレクサンドル3世皇后)」の記事については、「マリア・フョードロヴナ (アレクサンドル3世皇后)」の概要を参照ください。
- 死去と埋葬のページへのリンク