武装ヘリコプターの登場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 04:44 UTC 版)
「攻撃ヘリコプター」の記事における「武装ヘリコプターの登場」の解説
1954年、フランス領アルジェリアで民族解放戦線(FLN)およびその軍事部門としての民族解放軍が組織され、独立戦争が始まった。同地は、国土の大部分をサハラ砂漠が占める乾燥した平原地帯だが、北部では海岸と平行してアトラス山脈が走り、また南東部にもホガール山地などの山地・高原が広がるという、ヘリコプターの特性を活かしやすい地勢であった。このため、フランス軍はパイアセッキ H-21やシコルスキー S-58などのヘリコプターを前例がないほど大量に投入し、アグーネンダの戦いにみられるように、ヘリボーン戦術を展開した。 そしてヘリボーンでの火力支援のため、ヘリコプターの武装化が図られることになった。まずは負傷者後送(CASEVAC)用のベル47の担架に機銃手を乗せるという応急手段が用いられたのち、より本格的な艤装を施した機体が登場した。形態は様々だが、主力輸送ヘリコプターであったH-21やS-58には68mmロケット弾ポッドや機銃が搭載された。偵察用のベル47G-1には30口径機銃2挺、またアルエットIIではAA-52 7.5mm機銃2挺か37mmロケット弾を搭載した。H-34やH-21、さらにアルエットIIIでは、左舷側に20mm機関砲を搭載することも行われた。フランス軍では、輸送ヘリコプター5機に対して1機の武装ヘリコプターを配することを理想としていた。 またフランス陸軍は、早くも対戦車ミサイルの搭載も行っており、ジンにSS.10が、またアルエットIIにSS.11が搭載された。ただし民族解放軍が戦車を保有していたわけではなく、これらの対戦車ミサイルは、主として陣地攻撃用として用いられた。
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