正税の成立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/04 14:52 UTC 版)
正税は本来、「大税」と呼ばれて飛鳥浄御原令期の691年に登場しているが、以前には評に所属していたと見られる郡稲との関係やそれ以前から続く屯倉との関連性については様々な学説が出ており、屯倉や国造領に納められていた租税や出挙、評稲などが大化の改新以後に再編される過程で大税と郡稲に統合・分離したと考えられるということ以外には不明である。 大宝律令の制定後、大税は民部省の監督下に置かれて708年には不動穀の制度が開始された。一方、この他に郡稲・公用稲・駅起稲などの「官稲」が定められた(雑官稲)。ところが、734年に郡稲以下の官稲が大税に統合されて「正税」が正式な名称となり、例外とされた駅起稲なども739年には統合された。これを歴史学的には「官稲混合」と呼ばれている。以後、正税に一本化されたために官稲と併称する呼称であった「大税」という言葉も用いられなくなった。ちなみに当時の正税の豊富さのエピソードとして740年には規定通りに忠実に守って絶対に外部に出されることがなかった正倉の不動穀が腐敗しているのが見つかる事故が相次いだ ために、いくら不動穀と言えども古い稲を同量の新しい稲には入れ替えるようにという命令が出されていたことが『三代類聚格』に採録された大同3年8月3日(808年8月27日)付太政官符に記されている。
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