欧州宇宙研究準備委員会
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「欧州宇宙研究機構」の記事における「欧州宇宙研究準備委員会」の解説
準備委員会COPERSの最初の会合は1961年3月13日と14日にパリで開催された。最初の作業は科学研究計画を認識して想定された組織の基盤整備に必要な予算を組み、構成各国政府が参加を希望するように働きかける事であった。この会合の終盤にハリー・マッセー(英語版)議長、副議長2名にルイージ・ブログリオとヘンドリク・ファン・デ・フルスト、またピエール・オージェが事務局長に選出され、全員1960年に重要な決定に関して協議し、オージェは事務局を離れた今も活発な欧州の宇宙科学者として著名である。2つの作業グループが編成され、1件目は暫定的な科学と技術の作業グループ(STWG)である。作業内容は将来の宇宙機構のため科学計画や技術分野の準備の予算獲得だった。スウェーデン王立工科大学附属研究所 (ストックホルム) の Lamek Hulthén(ドイツ語)がこのグループの議長に、事務局長はマックスプランク宇宙物理研究所 (ミュンヘン近郊) 出身の Reimar Lüst(英語)であった。2件目の作業グループ (LAFWG) は法務、管理、会計を担当し、当初、議長を置かないまま業務が始まり、やがてドイツ連邦共和国出身者を責任者にしてはどうかと考えられ、CERNから予算委員長でバート・ゴーデスベルク出身の上級官僚Alexander Hockerを迎えた。全参加国は両方の作業グループに出席することと規定され、業務は下部グループを設けて実施した。
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