櫻井驛跡とは? わかりやすく解説

桜井駅跡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/13 16:42 UTC 版)

桜井駅跡(さくらいえきあと・さくらいのえきあと)は、大阪府三島郡島本町桜井1丁目にある古代律令制度下の駅家の跡である。1921年大正10年)3月3日に国の史跡として指定された[2]。現在は、史跡桜井駅跡史跡公園として整備されている[3]


  1. ^ 楠木正成 その四”. ラジオNIKKEI. 日経ラジオ社 (2016年10月22日). 2018年3月18日閲覧。
  2. ^ 桜井駅跡(楠正成伝説地)”. 文化遺産オンライン. 文化庁. 2018年3月15日閲覧。
  3. ^ a b 史跡桜井駅跡史跡公園”. いつもNAVI. ゼンリンデータコム. 2018年3月18日閲覧。
  4. ^ a b c 大阪府の歴史散歩編集委員会 編『大阪府の歴史散歩 上』山川出版社〈歴史散歩 27〉、2007年、240-241頁。ISBN 978-4-634-24627-0 
  5. ^ 宇治谷孟『続日本紀(上) 全現代語訳』講談社講談社学術文庫〉、1992年、119頁。ISBN 4-06-159030-8 
  6. ^ a b 府内の史跡公園等の紹介【史跡桜井駅跡(楠木正成伝説地)】”. 大阪府. 2018年3月18日閲覧。
  7. ^ 山下宏明 校注 編『太平記 三』新潮社新潮日本古典集成〉、1983年、57-62頁。ISBN 4-10-620358-8 
  8. ^ a b c 横山高治『北摂歴史散歩 - 高槻・茨木・島本編』創元社、2006年、140-145頁。ISBN 4-422-20464-5 
  9. ^ 島本町立歴史文化資料館(旧麗天館)の概要”. 島本町. 2018年3月15日閲覧。


「桜井駅跡」の続きの解説一覧

桜井駅跡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 04:59 UTC 版)

楠木正成」の記事における「桜井駅跡」の解説

楠公父子訣別之所」として知られ『太平記』第十六の「正成兵庫下向の事」(湊川の戦い)において建武3年1336年)、足利尊氏を討つべく湊川に向かう楠木正成が、嫡男楠木正行河内国に帰らせたと伝えられている(「桜井の別れ」を参照)。桜井駅自体は、大阪府三島郡島本町桜井1丁目にある古代律令制度下の駅家の跡。1921年大正10年)国指定史跡である。

※この「桜井駅跡」の解説は、「楠木正成」の解説の一部です。
「桜井駅跡」を含む「楠木正成」の記事については、「楠木正成」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「櫻井驛跡」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

櫻井驛跡のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



櫻井驛跡のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
文化庁文化庁
Copyright (c) 1997-2024 The Agency for Cultural Affairs, All Rights Reserved.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの桜井駅跡 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの楠木正成 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS