櫛渕小学校時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/06/21 04:17 UTC 版)
1874年(明治7年)4月20日、敬義斎の塾舎を利用して名東県櫛淵小学校が開設され、授業を担当した。当初は6年12学級の生徒50~60人を一人で教えたが、生徒が増加すると1882年(明治15年)に旧神宮寺本堂に移り、他の教員も加わった。 1881年(明治14年)1月6日、父・才庵が死去すると、代々の家業を絶ちたくないとの思いから、副業として医業を継いだ。 1875年(明治8年)5月5日、名東県により2等授業生となり、1877年(明治10年)2月16日に3等授業生、 1878年(明治11年)5月1日に2等授業生、1880年(明治13年)5月14日に5等助訓、11月29日に小学准訓導、1882年(明治15年)2月1日に5等訓導、1883年(明治16年)11月13日に4等訓導。 1885年(明治18年)8月4日、期限満了により教員補助となったため、1887年(明治20年)2月10日、小学簡易科教員の資格を取得して19日に授業生に戻り、1892年(明治25年)6月30日に小学校訓導、1893年(明治26年)3月6日に徳島県内尋常小学校本科正教員となった。 1901年(明治34年)4月2日、正式に櫛淵尋常小学校長に就任した。
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