櫛橋中務(くしはし なかつかさ)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/08/03 08:12 UTC 版)
「櫛橋伊定」の記事における「櫛橋中務(くしはし なかつかさ)」の解説
四男。幼名は徳松。「櫛橋之記」によると法名を宗雪。姉・光の招聘で筑前国の黒田長政に仕えた。子は嫡子・政次ほか2名がいたがいずれも福岡藩士になった。寛永2年3月3日(1625年4月9日)に65歳で没。
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