横浜線の駅の移転について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/13 15:23 UTC 版)
明治時代に横浜鉄道(現:横浜線)が開業した当初、原町田の中心地は現在の町田市立図書館などのある原町田二丁目付近であり、原町田駅もここに近い位置に設置された。大正後期より昭和初期の小田原急行鉄道(現:小田急小田原線)の建設の際、元々本町田(現在の玉川学園前駅の東方)から成瀬、金森方面へ抜ける経路で計画されていた路線を原町田方面経由に変更した際、原町田周辺が多摩丘陵と相模原台地の境界部であり、周囲には深く切り立った渓谷(芹ヶ谷戸、現在の芹ヶ谷公園)や高い丘陵を避けるため北西へ迂回したことになり、路線の開業時に新原町田駅は当時の市街地から離れた場所に設置されることとなった。現在でも玉川学園前駅から相模大野駅にかけては急で長い勾配が存在する。 その後、両路線や原町田が発展するようになり、国鉄横浜線と小田急小田原線が事実上の乗換駅となったものの、2つの駅の距離は離れており、バス停留所もそれぞれ独立した場所にあったため、利用客などから駅を移設して乗り換えを便利にして欲しいという声が高まっていた。大勢の乗り換え客がそれぞれの駅に向かって走るので、経路になった道路は通称『マラソン道路』(または「駆け足通り」)と呼ばれていたほどである。 そこで、町田市などは横浜線の駅を小田原線と横浜線の交差地点近くに移設しようと計画したが、これに対して2つの間にある商店街が猛烈に反対を唱えた。というのも、乗り換え客の中には途中でこのような商店街に立ち寄る人も非常に多く、駅が移設してしまうとこのような客がいなくなる恐れがあったからである。その後も反対運動が続けられ、4千人を超える署名が集められた。その後の交渉で、 現状のままにする。 横浜線の駅を小田原線の駅に近付ける。 横浜線の駅を小田原線の駅に隣接させる。 の3案が出され、長い交渉を経て2.の案に決定した。 こうして横浜線の駅は移設することになったが、これは商店街の声も一部配慮したものであった。連絡通路による乗り換えには約5分掛かり、ラッシュ時などはそれ以上の時間を要する場合もある。
※この「横浜線の駅の移転について」の解説は、「町田駅」の解説の一部です。
「横浜線の駅の移転について」を含む「町田駅」の記事については、「町田駅」の概要を参照ください。
- 横浜線の駅の移転についてのページへのリンク