横浜国際女子マラソンで優勝しながら世界陸上落選
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「田中智美」の記事における「横浜国際女子マラソンで優勝しながら世界陸上落選」の解説
マラソン2戦目となる、世界陸上北京大会の女子マラソン日本代表選考も兼ねた、2014年11月16日の横浜国際女子マラソン(同年・第6回大会限りで開催終了)では、レース前半で先頭集団から一旦離れるも、その後20km付近で集団に追い付いた。ゴール手前の40km付近からはフィレス・オンゴリ(ケニア)とデッドヒートを繰り広げ、ラスト300mでオンゴリ選手を突き放し、2時間26分57秒とタイムは平凡ながらも初のフルマラソン優勝を果たした。さらに国内選考レース(横浜・大阪・名古屋)では唯一の日本人優勝(男女を通じても優勝は田中のみ)を果たした事で、世界陸上選手権の女子マラソン代表入りは濃厚と報道されていた。 しかし2015年3月11日、日本陸上競技連盟が発表した世界陸上女子マラソンの最後の3枠目の座は、大阪国際女子マラソンで日本人トップの2位で田中より18秒先着だった重友梨佐(天満屋)に決まったため、田中は世界陸上の座を逃してしまった。尚、1983年に第1回世界陸上競技選手権(ヘルシンキ大会)が開催されて以降、マラソン国内選考会において優勝しながら世界陸上のマラソン日本代表から落選(辞退者を除く)したのは、2015年現在田中智美1人だけである。
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