梅渓通善
梅溪通善
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梅溪 通善(うめたに みちたる、文政4年7月19日(1821年8月16日) - 明治32年(1899年)10月12日[1])は、幕末から明治時代にかけての公卿、華族(子爵)。
安政5年(1858年)、日米修好通商条約締結に反対し、実兄の六条有容とともに廷臣八十八卿列参事件に参加した。
官歴
- 天保5年(1834年)
- 天保8年(1837年)2月18日:従五位上
- 天保12年(1841年)3月30日:正五位下
- 天保14年(1843年)6月18日:侍従
- 天保15年(1844年)5月6日:従四位下
- 弘化4年(1847年)2月13日:従四位上
- 嘉永3年(1850年)12月19日:右近衛権少将
- 嘉永4年(1851年)1月5日:正四位下
- 文久2年(1862年)7月15日:右近衛権中将
- 元治元年(1864年)
- 慶応元年(1865年):踏歌外弁
- 慶応4年(1868年)3月20日:正三位
- 明治17年(1884年)7月8日:子爵[2]
- 明治20年(1887年)1月19日:従二位[3]
系譜
脚注
- ^ 『平成新修旧華族家系大成 上』霞会館、1996年、p.256。
- ^ 『官報』第308号、1884年7月9日。
- ^ 『官報』第1065号、1887年1月21日。
出典
日本の爵位 | ||
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先代 叙爵 |
子爵 梅溪家初代 1884年 - 1899年 |
次代 梅溪通治 |
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