梅渓通善とは? わかりやすく解説

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梅溪通善

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/29 14:29 UTC 版)

梅溪 通善(うめたに みちたる、文政4年7月19日1821年8月16日) - 明治32年(1899年10月12日[1])は、幕末から明治時代にかけての公卿華族子爵)。

安政5年(1858年)、日米修好通商条約締結に反対し、実兄の六条有容とともに廷臣八十八卿列参事件に参加した。

官歴

系譜

  • 父:六条有言
  • 兄:六条有容
  • 養父:梅溪通修
  • 妻:親子 - 甘露寺愛長の長女
  • 長男:梅溪通魯
  • 次男:梅溪通弘
  • 長女:壽 - 紀俊尚の妻
  • 次女:胤子 - 鍋島直大の妻
  • 養子:梅溪通治 - 梅溪通修の子

脚注

  1. ^ 平成新修旧華族家系大成 上』霞会館、1996年、p.256。
  2. ^ 『官報』第308号、1884年7月9日。
  3. ^ 『官報』第1065号、1887年1月21日。

出典

日本の爵位
先代
叙爵
子爵
梅溪家初代
1884年 - 1899年
次代
梅溪通治


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