梅渓院
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梅渓院(ばいけいいん、慶長11年(1606年) - 寛永5年7月26日(1628年8月25日))は、福岡藩藩主・黒田忠之の正室[1]。名は久姫(ひさひめ)。
生涯
関宿藩藩主・松平忠良の次女として生まれる[2][3][1]。母は酒井家次の娘[2][3]。
第2代将軍徳川秀忠の養女として、元和8年(1622年)1月20日、黒田忠之に嫁いだ[2][4][3]。
寛永5年(1628年)7月26日、死去[2][1]。享年22[2]。法名は天秀妙貞梅渓院[1]。
脚注
出典
- ^ a b c d e 続群書類従完成会 1965, p. 209.
- ^ a b c d e 工藤 2009, p. 181.
- ^ a b c 続群書類従完成会 1964, p. 280.
- ^ 続群書類従完成会 1965, p. 208.
参考文献
- 堀田正敦等 編 『新訂 寛政重修諸家譜』 第一、続群書類従完成会、1964年2月25日。NDLJP:2983748。(要登録)
- 堀田正敦等 編 『新訂 寛政重修諸家譜』 第七、続群書類従完成会、1965年1月30日。NDLJP:2985853。(要登録)
- 工藤寛正 編 『徳川・松平一族の事典』東京堂出版、2009年8月20日。ISBN 978-4-490-10764-7。
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- 幕府祚胤伝(『徳川諸家系譜』第2巻)
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