株式会社アズマ時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/18 15:03 UTC 版)
父経営の防水工事の会社の見習いとして勤務。その後、父が重点的に行うようになっていた雨漏りの修理工事の見習い職人として5年を過ごし、1969年に同職にて個人創業する。11年後の1980年には35歳にして、名付け親である伊藤大輔により命名された長男の名前である「東」を冠したアズマ工業株式会社を設立。塗装・防水工事を本格的に始め、その後、日経新聞の「記事広告」がきっかけとなり受注が急増、10年で大規模修繕工事を手掛けるに至り会社を急成長させ、1992年には「株式会社アズマ」に社名変更。1995年には売上げが24億円に迫るほどとなる。特に「株式会社アズマ」時代には東京の駐日アメリカ大使館の外装工事と内部の塗装工事、大阪領事館の内装工事、福岡領事館の外装工事をアメリカから直接元請けで受注した。マンションの大規模修繕工事では管理組合から直接工事を請け負い、不要不急な工事をカットした適正な金額としたことで成長するが、業界の流れに逆らう行動であったため他業者の圧力がかかるようになる。こうした理由に重なり新規参入業者の増加や金融機関の貸し渋りなどが引き金となり、1998年自己破産を経験する。しかし、むしろ自己破産したことがその後の成長の原動力になったと伊藤自身は考えている。
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