松田の馬場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/15 16:34 UTC 版)
「松田の馬場及び松並木」は1984年(昭和59年)2月27日に、宜野座村の指定史跡となっている。(北緯26度29分18.4秒 東経127度59分23.5秒 / 北緯26.488444度 東経127.989861度 / 26.488444; 127.989861 (松田の馬場及び松並木))。1878年(明治11年)頃に、首里の士族・汀良(てぃら)タンメーと称する人物により、農村の娯楽施設として造られたと伝わる。旧4月の「畦払い」の日に、馬を持つ人が裸馬にまたがるにわか競馬(草競馬)が行われていた。ウマバの構造は東西約250m、横約25mで、周囲に見物場としての盛土が築かれ、その上に琉球松で松並木を形成している。松並木は約100本の松が残るが、これらは明治期に植えられている。馬場跡は宜野座村字松田2261に位置、のち明治末に宜野座村立松田小学校の敷地となっている。小学校の校歌には馬場が歌われ、PTAが松並木の下草刈りを行う。また、宜野座村は1996年(平成8年)から樹勢回復を目的として樹木医に業務を委託。枯れ枝の剪定、薬剤散布、堆肥施工などを実施し、2005年(平成17年)以降は毎年、樹木医の経過観察を受け、3年ごとにグリーンガードを注入する対策を行っていると村長が答弁している。
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