松井・清原・高橋(MKT)
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「読売ジャイアンツ歴代4番打者一覧」の記事における「松井・清原・高橋(MKT)」の解説
1996年オフに落合が退団し、入れ替わるように西武ライオンズからFAで清原和博が入団。1997年から2004年頃までは62代松井秀喜、64代清原、66代高橋由伸の3人が主に4番打者を務めることとなった(MKT砲)。松井は入団3年目の1995年に初めて4番に座り、翌1996年も開幕当初は4番を務めたがシーズン途中から4番を落合に譲り3番に回っていた。その後1999年まで、清原や高橋、67代ドミンゴ・マルティネスらが4番を打ったこともあった。各種報道等によれば長嶋監督の「次に松井を4番に据える時は、松井一本で行くとき」という方針によるものであり、大きく育てたい思いからであった[要出典]。松井はその後、2000年の開幕戦で4番に座り、以後2002年までの3年間全試合4番としてフルイニング出場を果たし、2度の日本一に貢献した。2002年オフに松井がFA権を行使してニューヨーク・ヤンキースに移籍してからは高橋らが4番に置かれたが、4番固定には至らなかった。 またこの時期は、(松井が4番に固定された3年間を除き)4番打者が乱立した時代でもある。そのメンバーにはFA制度を利用してヤクルトスワローズから61代広澤克実、西武ライオンズから64代の清原、トレードによって近鉄バファローズから65代石井浩郎、福岡ダイエーホークスから69代小久保裕紀、他球団で活躍した外国人選手として西武(西武自由契約後、メキシカンリーグを経て)から67代のマルティネス、ヤクルトから68代ロベルト・ペタジーニと、他球団に所属経験のある選手が多くみられた。彼らのほとんどは4番打者として長期間起用され続けるには至らなかったが、2004年シーズン後半から2005年にかけては小久保が4番に座り、ようやく一定の安定をみることとなった。
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