松井松平家時代
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慶長14年(1609年)、山陰道の要衝である篠山盆地に城を築くことによって、大坂の豊臣氏をはじめとする西国諸大名のおさえとする理由から、畿内近国や山陽道・山陰道・南海道における15カ国20大名の賦役により篠山城が築城され、同年末に同地を領していた松井松平康重が丹波国八上から政庁を移し、八上藩から篠山藩へと移行した。康重は、藩政の基礎を固めたが、元和5年(1619年)7月19日に和泉岸和田藩5万石へ移封された。
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松井松平家時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/20 15:05 UTC 版)
代わって、丹波国篠山藩より松平康重(松井松平家)が5万石で入封し、以後の岸和田は譜代大名の藩地となった。当地は肥沃で、また耕作法の進歩により実収が表高より多く、幕府に願い出て表高は6万石に高直しされた。また、康重は城下町の整備を行った。 2代康映は寛永17年(1640年)に家督を継いだ際、甥の康明に5千石、弟の康命と康紀に3千石・2千石をそれぞれ分知した。しかし、康映は藩主となったその年に播磨国山崎藩に転出した。
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