松井に関する蔣介石の「発言」とは? わかりやすく解説

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松井に関する蔣介石の「発言」

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 01:10 UTC 版)

松井石根」の記事における「松井に関する蔣介石の「発言」」の解説

田中正明#蔣介石の「南京大虐殺否定発言」」も参照興亜観音を守る会」会報(『興亜観音第15号2002年4月18日号)に田中正明書いたところによれば、1966年9月に、田中ら5人が岸信介名代として台湾訪問した際、蔣介石が「南京には大虐殺などありはしない何応欽将軍軍事報告の中で、ちゃんとそのこと記録している筈です。私も当時大虐殺などという報告を耳にしたことはない。松井閣下冤罪処刑されたのです」と涙ながらに語ったという体験談記されている[要出典]。この話は『興亜観音第10号』(1999年10月18日号)にも掲載されており、両方とも蔣介石は「申し訳ない事をした」と田中語った記されているが、何応欽軍事報告松井大将が冤罪だったという部分は、10号では田中考え事実として記されているのに、15号では蔣介石自身発言記されており、異同がある。 なお、蔣介石自身の公式の回顧録である産経新聞当時サンケイ新聞)が1976年紙面掲載した蔣介石秘録』の「全世界震え上がらせた蛮行によれば蔣介石1938年1月22日付の日記に「日本軍南京あくなき惨殺姦淫をくり広げている。野獣にも似たこの暴行は、もとより彼ら自身滅亡早めるのであるそれにしても同胞痛苦はその達しているのだ」と記している。また、日本軍による南京攻略戦終了した後の自軍損害については、「南京防衛戦における中国軍死傷者六千人を超えた。しかし、より以上の悲劇日本軍占領後起きたいわゆる南京大虐殺である。」「日本軍はまず、撤退が間に合わなかった中国軍部隊武装解除したあと、長江揚子江)岸に整列させ、これに機銃掃射浴びせてみな殺しにした。」「虐殺対象軍隊だけでなく、一般婦女子にも及んだ。」「こうした戦闘員非戦闘員老幼男女問わない大量虐殺は2カ月及んだ。」「犠牲者三十万人とも四十万人ともいわれ、いまだにその実数がつかみえないほどである。」 とも発表している。

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