東西分立前の本願寺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/24 08:09 UTC 版)
大谷本願寺 その他の本願寺と区別するため本項では、「大谷廟堂」が寺格化した「本願寺」を「大谷本願寺」と呼称する。 1321年(元亨元年)、本願寺第三世 覚如が「大谷影堂」を寺院化し「本願寺」と号する。(寺格は天台宗青蓮院の末寺) 1465年(寛正6年)、比叡山の僧兵によって破却される。 山科本願寺 1483年(文明15年)、本願寺八世 蓮如が山城国宇治郡山科(京都市山科区)に建立する。 1532年(天文元年)、六角氏などにより破却される。 ※現在は、本願寺山科別院(本願寺派)、真宗大谷派山科別院長福寺(大谷派)が跡地付近に存在している。 石山本願寺(石山御坊) 1497年(明応6年)、摂津国石山(大阪市中央区)に建立する。本願寺十世 証如の時代、山科本願寺破却後に本山となる。1580年(天正8年)、焼失する。跡地に大坂城が建てられている。 鷺森本願寺(雑賀御坊) 1486年(文明18年)、蓮如が紀伊国で布教。 1581年(天正8年)、織田信長との和睦によって大坂の石山本願寺から退去した本願寺十一世 顕如が紀伊国鷺森(和歌山県和歌山市鷺ノ森)に滞在し、浄土真宗の本拠となる。 ※現在は本願寺鷺森別院(本願寺派)となっている。 貝塚本願寺 1583年(天正11年)、顕如が和泉国貝塚(貝塚市)にあった末寺(後の願泉寺)に一時滞在し、浄土真宗の本拠となる。 ※現在は願泉寺(本願寺派)となっている。 天満本願寺 1585年(天正12年)、豊臣秀吉との和睦によって顕如が鷺森本願寺から退去し、摂津国中島(大阪市北区天満)に転居する。 1591年(天正19年)、秀吉より堀川六条に寺地を寄進され天満から移転する。 ※現在は、真宗大谷派天満別院(大谷派)が跡地付近に存在している。
※この「東西分立前の本願寺」の解説は、「本願寺」の解説の一部です。
「東西分立前の本願寺」を含む「本願寺」の記事については、「本願寺」の概要を参照ください。
Weblioに収録されているすべての辞書から東西分立前の本願寺を検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。
全ての辞書から東西分立前の本願寺を検索
- 東西分立前の本願寺のページへのリンク