東海道本線東田子の浦列車衝突事故
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「日本の鉄道事故 (1950年から1999年)」の記事における「東海道本線東田子の浦列車衝突事故」の解説
1955年 (昭和30年)5月17日2時19分 東海道本線原 - 東田子の浦間の植田踏切で京都発東京行修学旅行列車(列車番号3138・EF58 66+客車11両・乗客837名)の機関士が立ち往生していた在日アメリカ合衆国軍のトレーラーを発見。列車は非常制動を掛けたが間に合わず衝突。120 mほど走行し停車した。衝突のショックで大破したトレーラーの荷台に搭載されていた揮発油を原料としたペンキに引火した。 火は編成中3号車に組成されていたスハ32 266に延焼。さらに機関車と客車4両を全焼、1両を半焼させた。深夜の事故にもかかわらず、機関士・機関助士・車掌・乗客・周辺住民が連携し後部6両は切り離されて延焼を回避した。また乗務員による乗客の避難誘導により重傷2名・軽傷31名を出したものの、死亡者は出なかった。 被災車両は大きく損傷したものの、全車廃車とならず以下の修復作業を実施。EF58 66:浜松工場で甲修繕を施工。 スハ32 266:名古屋工場でオハ46形に準じた広窓切妻鋼板屋根とした新製構体への載せ替えと台枠改造を施工しオハ35 1314に改番。 スハフ32 257:小倉工場でスハ32 266と同様の工事を施工しオハフ33 627に改番。 オハ35 342・923・スハ42 63:小倉工場で構体載せ替えを施工したが改番は実施せず原番号で復旧。
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