東条英機 とうじょう ひでき
東京生まれ。陸軍軍人、政治家。父は陸軍軍人東条英教。陸軍士官学校、陸軍大学校を卒業。昭和12年(1937)関東軍参謀長、翌年陸軍次官となり、能吏ぶりを発揮して「かみそり東条」といわれる。航空総監兼航空本部長を経て、15年(1940)第2次、第3次近衛内閣の陸相。16年(1941)近衛文麿に代わって首相に就任し、陸相、内相を兼任した。対米英戦での初期の作戦成功を背景に、17年(1942)立候補者推薦制度による翼賛選挙を行う。それにより議会は形骸化し、独裁的な戦時体制が強化された。19年(1944)2月参謀総長を兼務したが、戦局の悪化に伴い重臣内部の批判が高まり、7月には内閣総辞職となった。敗戦後、自殺を図ったが失敗。極東国際軍事裁判でA級戦犯として絞首刑となった。
キーワード | 陸軍軍人, 政治家, 首相 |
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