東京にでなくていい日鷦鷯(みそさざい)
作 者 |
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季 語 |
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季 節 |
冬 |
出 典 |
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前 書 |
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評 言 |
「でなくて」は素直に「出なくて」と読むことにするが、こんな句に初めてお目にかかる。我らサラリーマンの味方なのか。なんとおおらかで、鷦鷯の5センチくらいの小さな鳥が活発に動き回る愉快さも出て、いっそうのゆったり感を醸し出している。 政治、経済、文化と何もかも東京に一極集中している時に、誰しも東京に行かなくては仕事にならない、何も事が進まないというのはほぼ万人が認めるところであろう。仕事人にとって、1日でも東京に出なくていい日があるというのは、うれしい心安らぐ日になるであろう。 久保田万太郎であっても、基本的には稼ぎの拠点は東京であるから、出なくていいということはないのであるが、仕事の内容が平社員ではないから、ここがちょっと違う。流寓の旅は別にして、経歴からすれば、小説家であり、演劇界のドンであり、通勤地獄に苦しむことはどう考えても無い。『流寓抄』その一に、「昭和20年11月4日、東京をあとに鎌倉材木座にうつる。・・・以下、その新居にてえたる日々の心おぼえたり。」そしてこの句の前に「日曜、しかも快晴、心、太(はなは)だ和む。」とある。火事や震災にあって、借家住まいを数度転々と続け、やっと東京を捨てるように鎌倉にやって来た。その安堵感が先ず、率直に現れているようである。さらに、「(昭和23年)10月の声をきくや、海岸橋よりわが家のほとりにかけての寂しき、日の暮るヽとヽもに、人通りさへ絶ゆることあり。」を前書きとして “東京に行かずにすみし夜長かな”という句がある。この句も鎌倉のさみしい風景はあるにしても、掲句と同様の心持ちであることは容易に想像できる。反面、万太郎自身の心情とは別に、東京と切っても切れない世人の寂寥も一方で見受けられる。 以下に東京を題材にした句を,前書きと共に揚げておく。 (昭和26年)歌舞伎座、新装成り、初開場―“東京のまッたヾなかの霞かな” 湯島天神男坂にて―“東京の春昼かヽるときしもや” 日本橋の袂に旧魚河岸の記念碑建つ―“東京に江戸のまことのしぐれかな” 写真はraraの鳥見日記より |
評 者 |
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備 考 |
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